ギター上達コラム

    第74回 「是々非々 すべてが恵」 

 

先月、穂波株式会社の顧問である林氏からの要望で30分間の演奏をする機会を頂いた。5曲で組んだプログラムによるクラッシックギター・サロンコンサートである。コンサートの大小に関わらず、終了した後はいつも様々な思いが湧いてくる。それら一つ一つを細かく確認しながら是々非々を検証していくことで、コンサートの後は多くの学びが得られるのが常である。

 

今回のコンサートでは、「アルハンブラの思い出」を必ずプログラムに入れて欲しいという顧問からの要望もあり、未だ腑に落ちていなかったトレモロをできる限り完成の域にまで持っていく事が必須の課題となった。結果から言えば、このことが大いなる恵みをもたらすことになる。

 

今月は、コンサートで頂いた大いなる「恵み」について考察してみよう。まずは、全てに優先する形で「理想とするトレモロ」獲得に没頭できたという恵みである。これまで、何となく霧がかかったようなもどかしさの中にあった「トレモロ奏法」である。

コンサート当日まで、徹底して右指の運びを追求していくなかで、論理的にも技術的にも自分が求めている理想のトレモロに近づけたという確かな手ごたえを持つことができた。プルプルと震えながら、いきなり舞い上がるトレモロ。完成までにはまだ少し時間が必要だが、長年求め続けてきたトレモロだけに新たな奏法で「アルハンブラ宮殿の思い出」を披露できたことは大きな喜びであった。

 

だが、何といっても最も大きな恵みは表現に対する新たな気づきを頂いたことであろう。私の「困った癖」なのだが、練習が切羽詰まると他の曲が弾きたくなる。このときもまた、時間が迫っているにもかかわらず、気分転換を理由にプログラムにはない「レトルナンド」を取り出し弾いていた。気負わず弾いたこの曲は、何とも不思議で心地よい感覚を運んできた。この曲が持つ南米特有の豊かな香りが、情感のままに弾きたくなる雰囲気をもたらしたのだろう。次第に指に向かう意識は消え、ただ、聴こえてくるメロディーに導かれて弾いている新鮮な感覚を持った。音符を追いかける指の動き、音の強弱や音色を微細に聴き分け演奏を支配する抑制の意識、それらから解放されて自由に弾いている自分を発見した瞬間であった。

 

この曲が持つ自由で奔放な表情は、どうであれ「生きている私を 私のままで演奏する」囚われのない表現のあり方に気づかせてくれた。演奏への様々な技術や、詮索する思考から解き放たれ、「演奏の楽しさ」を存分に味わうことができたのである。これらの恵みは、これからの演奏をますます力強く推進させてくれることだろう。だが、同時に、「私を私のまま」で演奏するということは借り物では済まされない私自身を全肯定する感性の力が求められているということでもある。

 

この「道」に終わりはなく、求める者に「恵み」は無限である。皆さんの上達を目指した挑戦もまた、必ず、尽きることのない「恵み」に繫がっていくと確信している。挑戦後の「是々非々の検証」を大事に、「焦らず」「くさらず」「諦めず」共に、一歩一歩と昇っていこう。

                        2020.11.01

                           吉本光男