ギター上達コラム

        第78回  「素直な心」

 

JUGAには、設立当初から団体会員である合奏団「アンダンティーノ」が所属している。毎回参加できるメンバーは少ないが、それぞれギター大好き人間の集まりである。合奏団「アンダンティーノ」の合同練習は、毎月第日曜日の午前9時〜午後1時までの4時間。その後、会場でソーシャルディスタンスでの軽いランチを取って解散する。普段の合同練習では、コンサートで弾く曲の練習に追われるのだがコロナの事でコンサートが延期になったり中止になったりしているため、練習日に各自が個人的に取り組んでいる課題曲を披露する時間を取ることも多くなっている。

 

日々、目標を持って練習に励んでいるからであろう。団員一人一人の演奏が、聴くたびに上達していることに驚かされる。その感想を伝えた時、団員の一人N氏が即座に応えた。「先生が演奏される時、指使いをじっと見て盗んでいます」私はセカンドのパートなので団員たちのほぼ中央に座っている。私もまた合奏曲以外の自身の練習曲を時々披露するのだが、その時N氏は、自分の席から私の演奏を「じっと見て」技を盗んでいるというのである。「なるほど」と感心すると同時に、昔の自分を思い出した。

 

私もまた若い頃、世界の有名なギタリストが名古屋に来るとコンサート会場に出向いて、演奏家の指が確実に見える場所に席を取り「優れた技を盗もうと努力した」ものだ。家に帰ると演奏者の指が見えた角度に鏡を置いて、脳裏に刻み込んだタッチの具合や指の動きを自分のそれと比較しながら徹底的に研究したことを昨日の事の様に思い出す。

 

「芸事」において、「ぬすむ」という行為は推奨される行為である。そして、それが上達に繫がることは誰もが知っていることだ。しかし、知ってはいても実際の行動として「素直な心」で実践している者は少ない。N氏の素晴らしさは、実際の行動として私が演奏する時は必ず、私の左手の運指や右手のタッチを食い入るように見ながらで学び続けていた姿勢にある。

 

どんな優れた演奏であっても、人間が作りだしている技である以上それなりの「理屈」があるものだ。理屈も技術も、教えられたものより能動的に「ぬすむ」ことで手に入れたものの方が身につく度合いが高いのは当然である。「ぬすむ」という行為自体が強い「意欲」に密接に繫がっているからである。ただ、追求していく心とか、よきものを自分の演奏に取り入れたいという「意欲」「熱量」はskillではないので教えることができない。「今できること」に集中し、一生懸命にやり続けることで育てていくしかない心の領域である。

 

くさらず、諦めず、今できることを一生懸命にやり続けることだ。やり続けていくうちにしっくりくるようになり、やがて「もっと」とか「こうしたい」という想いが生まれてくる。その気持ちが、強い「意欲」として自家発電するようになるまでやり続けることだ。学びにおいて本当に大事なのは、才能よりむしろ今できる事にひたむきに向き合い、こつこつとやり続けることができる「素直な心」であると私は考えている。

 

会員の方々が、それぞれの力量に応じて「素直な心」で上達の道を進んでいかれることを心から願っている。

                       2021.03.01

                                吉本光男