ギター上達コラム

          第55回  私の理想とする「トレモロ」

 

1896年、今から123年前の話である。タレガ45才。友人と連れ立って行った観光地「アルハンブラ宮殿」の庭で観た湧き出る噴水。作曲家タレガのその時の震えるような感動が、「アルハンブラの思い出」という「トレモロ」で有名な名曲を生み出すこととなった。プロ・アマの演奏家を問わず、今も世界中のギター愛好家に愛され続けている名曲の一つである。

 

私もまた、10代でギターに目覚めた頃から弾いてみたい曲No.3の中の一つになっていた。その頃、私の理想とする「トレモロ」は、粒立ちがきちんとそろっていることであり、粒立ちをそろえて速く弾くことが最大の目標になっていた。どうすれば粒立ちが揃うのか、どうすれば粒立ちを壊すことなく速く弾くことができるのか。それが最大の気がかりであり、目指す研究課題であった。勿論、その頃の私の理想とするトレモロを手に入れるまでにも、長い年月がかかっている。「トレモロ」は、ギター特有の技術を必要とするため自分が理想とする「音の現れ」を習得するまでには気の遠くなるような時間を要するのだ。

 

ある日、それまで理想として求め続けていた「トレモロ」がこの手に入いる瞬間が訪れる。言葉では言い表せない程の歓喜。その瞬間の記憶は、一瞬で鮮明に浮かび上がり決して忘れるということはない。それ程の感動と共に獲得した「トレモロ」であったのだ。だが、夢にまで見てきたその「トレモロ」が手に入ったというのに、暫くするとざわざわと心の奥の方で「何だか違う」という声がし始める。面白くないのである。きちんと粒立ちが揃った「トレモロ」を求めていたはずなのに、そろえばそろう程、それでは満足できない自分が居た。世界の名だたる演奏家の「トレモロ」を何度も何度も聴いてみる。どこが違うのか。聴いていくうちに、私が求めている、理想としている「トレモロ」の実態が次第に浮かび上がってきた。タレガの震えるような感動が直に伝わってくるようなプルプルと震える「トレモロ」。揺れる噴水の水音。聴いていく中で、セゴビアの「トレモロ」が求めているものに一番近いと感じた私は、それが欲しいと心の底から渇望した。

 

これまで積み上げてきたトレモロの知識や技術が基本となるのだから、ゼロからの出発というわけではない。だが、届きそうで届かない理想の「トレモロ」を前に「挫けそうな自分」と「あきらめられない自分」が同居する中での長い、長い戦いの場となっていく。プルプルと震えるような「トレモロ」の実現を目指す。あれこれ右手の指の使い方を工夫し、粒立ちの表情について研鑽を深め行く中で、「トレモロ」は、粒立ちをそろえて早く弾くというより、むしろ、キレイに揃えない方がよいとさえ思うようになった。その方が音の震え感が伝わってくるからだ。「トレモロ」と分散和音を担うP(親指)との調和と、それらが美しく混ざり合うなかでの一体感を求めていくという日々の連続。思えば、初めて「トレモロ」を弾いた頃から、55年が過ぎようとしていた。そんな中、最近になって自分が理想とする「トレモロ」にようやく辿り着いた気がしている。歓喜で激しく舞い上がる心。しかし、と思う。そこは「終わり」の「始まり」であって、一つの通過点でしかないのだと。本当の「面白い」が始まるのは、ここからなのだと。「トレモロ」に限らず、ギター上達への道は、己で工夫し考えぬいた方法に基づいた「繰り返しの練習」が必須だ。膨大な時間と挫けない根気が求められるが、これらを湧きあがる好奇心と共にやり続ける人だけが、上達への切符を力強く掴むことになるのだろう。

                        2019.04.01

                         吉本光男